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FX為替相場が動いた事例「アジア通貨危機」


米ドルと連動するタイバーツ
1997年のアジア通貨危機では、アジア各国の通貨が連鎖的に暴落する深刻な事態になりました。その震源になったのがタイパーツです。円相場ともからんでくる、その原因を探ってみましょう。もともとアジア諸国は、通貨政策として自国通貨の為替レートを主要国の通貨に連動させるペツグ制を採用していました。

ペッグ制には、1つの通貨に連動させる方法と複数の通貨に連動させる通貨パスケット制があります。バスケット方式では、米ドル、ユーロ、円といった主要通貨に対しそれぞれ比率を決めて加重平均します。例えば、A国の通貨がバスケット方式を採用して、米ドル、ユーロ、円の比率を60・30・10と設定したら、A国通貨の変動の60%は米ドルの影響を受けることになるのです。

タイではバスケット方式を採用していましたが、米ドルの比重が高かったため実質的にはドルペッグ制でした。言い換えれば、タイパーツは対米ドルで固定相場制、それ以外の通貨に対しては変動相場制だったのです。

円高を背景に景気拡大を続けたタイ
プラザ合意以降、円高が長期間続いて1995年4月には1ドル70円台まで進行しました。この持続的な円高を受け、日本企業は土地と労働賃金の安いタイやインドネシアなどASEAN(東南アジア諸国連合)諸国に直接投資を行い、工場を建設しました。これがASEAN諸国の経済成長に大きく貢献したのです。さらに、円高のおかげでタイの輸出競争力は相対的に強くなり、日本向け輸出は拡大しました。

一転して円安の流れがタイ経済を襲う
タイでは、経済成長にともなって設備投資などの資金需要をまかなうため、高金利政策を採用して海外からの資本流入を促していました。事実上のドル・ペッグ制で為替リスクがないため、海外投資家にとってタイの高金利は魅力的でした。このようにタイ経済は、円高パーツ安による輸出需要と高金利による海外資本の蓄積という2本の柱で支えられていたのです。

ところが、1995年4月のG7で「秩序ある反転が望ましい」との声明が発表され、ドル買いの協調介入が行われたのです。それまでの円高基調は、1ドルフ9.75円で天井を打つと円安に反転。 1997年5月には、1ドル127円まで円が売られました。当然、タイパーツもドルに連動していたので、円安パーツ高になったのです。

変動相場を余儀なくされる
これまで順調に成長を続けてきたタイ経済は、円安に動き始めるとすべてが逆回転を始めました。タイの輸出競争力は弱まり、2桁成長が10年間続いた輸出はマイナスとなり、わずか2年間でタイの貿易収支赤字は大幅に拡大したのです。また、不動産価格も下落に転じ、ついにバブルの崩壊が鮮明になりました。これによって外国資本は、すばやく引き上げられました。低い金利でドルを借りて高金利のパーツを運用していた外国人投資家が、一斉にパーツ売りに転じたのです。これを買い支えきれなかったタイ政府と中央銀行は、やむなく変動相場制に移行しました。タイの通貨危機は、ほかのASEAN諸国や韓国にも飛び火し、日本でも大手金融機関が相次いで破たんする状況に追い込まれていったのです。